2015年11月16日月曜日

「頂」

先週の歓喜から1週間後の週末。
まず土曜日、東京まで行ってきました。
高校サッカー選手権東京都予選決勝。
帝京高校VS國學院久我山高校。

帝京高校3年生の河野翔太選手の応援。
2連覇中の國學院久我山に対して、6年ぶりの全国を目指す帝京高校。
0-0と前後半で決着が着かず延長戦へ、延長開始直後決定的なチャンスを得るも得点ならず。

結局PK戦へ、帝京の6人目の河野選手、ちょっと甘いコースでキーパーに弾かれるもゴールイン、おいおい頼むよ翔太。
7人目の帝京が外してジエンド。
残念ながらアラグランデOBの選手権出場は来年以降に持ち越し。
翔太は高校3年間ずっと怪我との戦いでした。
おそらく3年間のうち半分位しかやれてないのでは?
それでもレギュラーを掴み西が丘での決勝の舞台に立っている姿を観て白馬からの応援団も皆んな感激してました。
3年間お疲れ様でした。まだまだ大学でも頑張って下さい。

そしてあくる日。
来週はピザーラあるし、家の事やらなきゃいけないから家にいたんですけど、やってもーた・・・。
全日本ユース(U-15)フットサル選手権長野県大会。
アラグランデ優勝!
やってもーた!見逃してもーた!
夜3年生のおとーさんから電話来て「何してんの?」、く〜っ!
良いんですよ、長野県獲るのわかってたから北信越観に福井にいくつもりでしたから!

先週の昇格戦で3年生も一区切りかな?なんて思ってたけど、まだまだ続きます、勉強もしっかりやって下さいね!
いやいやシーズンも終盤に入って嬉しいニュースですね。

2015年11月7日土曜日

「棘」

現時刻11/7 21:20
今日一つの思いが成就された。
高円宮杯U-15サッカーリーグ・長野県中信1部への来季昇格が決まった。
通称ユースリーグに参戦初年度からアラグランデはずっと2部だった。
3部に落ちそうになった年もあった。
昇格の可能性のあった年もあった。
それは私にとっても忘れられない悔しさとなって今まで棘となって胸に刺さっていた。
それは4年前の2011年、次男が中学3年生の出来事。
ユースリーグの昇格・降格はその年によって違いがあります。
2011年は中信2部はA・B・Cと3グループ、1位のみ昇格、それ以外は全て昇格の可能性がありませんでした。
アラグランデは最終節を残してCグループ1位、最終節は2位のチームとの直接対決。
この最後のゲームに受験を控えていたこともあり3年生は2名。
結局このゲームを落とし2位に順位を落とし大手をかけていた昇格を逃してしまいました。
次男はどう思っていたかわかりませんが、私はこのシーズンの終わり方がいまだに尾を引いていました。
実は今日仕事が入っていました。
4日前、🌾コーチから「7日の入替戦、是非観に来てもらえませんか?」と。
行って良かった。
こんなに熱くなれたゲームは滅多に観れないだろう。
現役の選手の父兄だけじゃなく、OBもいた、OBの父兄もいた。
1試合目の残り1分の劇的な気持ちで奪ったゴール。
2試合目決定戦の0-1からのアラグランデのサッカーで奪った後半の3得点。
たかが地区リーグの2部から1部への昇格かもしれない。
まだまだ上がある。
でもそんな小さな事でもない。
そしてまたここから始まる。

家に帰ってホームページの更新作業をしていたら🌾コーチから電話がかかってきた。
少し声が震えているように感じた。
ほぼ毎年🌾コーチとユースリーグをバスで一緒に帯同してきた。
選手の前では喜びや悔しさを表に出すのを控えていたと思う。
電話ではそんな抑えていた思いを少し話してくれた。
長く行動を共にしてきたけど、何か共有出来た気がする。
4年間の私の引っ掛かりもとれた。
少なくとも私のアラグランデの歴史15年の中で1番の日でした。
今日の出来事が小さな事になるような未来がまた来る日を楽しみにしています。





2015年6月8日月曜日

「戦」

2015年長野県クラブユース選手権U-15の帯同審判として4日間菅平へ行ってきました。
中学生にとって1年間で1番大きな大会。
3年生にとっては節目となる大会です。
最初の2日間がグループリーグ4試合、ここでの1敗がひびき次週からの決勝リーグに進む事が出来ませんでした。
述べ4日間で7勝1敗、勝率的には素晴らしいですが県内の強豪と戦うチャンス、全国への扉は開きませんでした。
個人的にはとても楽しく過ごせた4日間でした。
父兄の方々もとても素晴らしい応援をしていました。
選手達だけではなく、親も土手の上で戦ってるんですよ。
Aチームの保護者は空き時間にBチームの会場へと移動し応援、Bチームの保護者も空き時間にAチームの会場へ移動し応援。
私ごときに「お疲れ様です」「ご苦労様です」「ありがとうございます」なんて。いえいえ好きで来てますから!
ウチの子供が卒業して4年、一緒にやってた子なんかいません。誰だあれ?みたいな子もいますが、呼んでもらって幸せです。
1・2年生は先輩達と共に戦い、残した成績を来年越えてくれる事を期待します。
3年生達は何処に行っても「通用する個」になって貰いたいとと思います。
アラグランデの最終学年には引退という言葉はありません。
まだまだ中学生活もサッカーも続きます。大変な時期ですが頑張っていって下さい。
素晴らしいサッカーを観せて頂きました、ありがとう!

2015年5月28日木曜日

「You're on your own」

試合を観に行くと父兄がテントの設営をして、テーブルを設置してお茶やスポーツドリンクを用意してなんて姿よく見かけます。中には豚汁作ってるのなんかも見た事あります。
チームによってやり方はそれぞれでしょう。親が手伝う事によって感謝の気持ちを持たせるという考えなのかもしれません。
それについて私は特に完全否定はしません。
そうする事によって子供も指導者もサッカーに集中できるという事もあるかもしれないし。
中学校のサッカー部でもよくある事です。
指導者の数が少ないチームは子供の引率まで手が回らないから送り迎えに親の協力無くして試合が出来ないというのもあります。
親の方も何か関わりたいという方もいらっしゃるでしょう。
アラでは親が現場介入する事はまずありません。
これは「サッカーを通じて自分で判断し、自ら行動できる(プレー)出来る、どこの世界でも通用する個を育てる」というチームの基本方針に則っているためです。
サッカーをやりたいのは子供達本人です。
「明日試合だから準備しなきゃ」と「相手にボール取られたから奪い返さなきゃ」は同じ本人の思い、だからできる事は全て自分でやろう。という考えです。
中には自分で洗濯し干してた子もいました。
ウチの子が小学生の頃はまだスタッフの数も少なく主催大会であるアラフェスタ等では、父親たちがトラックでゴールを森上や切久保からスノーハープに運んで設置し、本部で集計、お母さん達は他チームの指導者レフリーに冷たい飲み物を出してなんてことしてました。
まあその頃から子供に直接関わる事は遠慮して下さいと言われてました。
指導者の数が「少し」だけ増えてからは父兄が手伝う事は無くなりました。
幸か不幸か私だけは大会の手伝いと審判として残っていますが(過去の遺物)。
親としては関わりたい気持ちもわかりますし試合の合間なら声かけても良いでしょ?て気持ちもわかります。
でもこれって後々ちゃんと形になって出てきます。プレーでも普段の生活にも。
私はこの行動理念には100%賛成ですし全面支持です。
コーチ達もバカじゃないですからそれぞれの子供達の年齢や性格を考えて声をかけ指導してくれてますから。(バカじゃないけどサッカーバカです)
少しでも賛成してくれたら今日からちょっとだけ突き放してみて下さい。



2015年5月26日火曜日

「繋」

とある高校サッカー部の話。
その高校は学校と寮が離れていて自転車通学で20分くらいかかります。
3年前の春先、学校から帰る途中で部員が道で会ったお婆ちゃんに「こんにちは」と挨拶しました。
次に来た部員もまた「こんにちは」と挨拶、また次に来た部員も同じく。
次の日からお婆ちゃんは同じ場所同じ時間にそこで彼らと挨拶するのが日課となりました。
雨の日も雪の日もお婆ちゃんはいつもの場所で彼らを待っていてくれました。
そして「こんにちは」が、「ただいま!」になりました。
そして「おはよう」も始まりました。
ある日の事お婆ちゃんは部員の一人を呼び止めて手紙を渡します。そして「あんた達はどこの学校の生徒さんだい?」と聞き、初めて◯◯高校の生徒だと知ります。
その手紙にはこのように書かれていました。

「高校生の僕達のただいまの言葉にお婆ちゃんはいっぱいのパワーを頂いています。一人一人が優しい気持ちがなければ言葉かけてくれないよね。ありがとう、ありがとう。全員にお礼を言います。又お婆ちゃん見つけたらただいまと声かけてね。家に帰ると涙出るよ。一人で暮らしていると淋しくて、お婆ちゃんも元気におかえりと言うからね、みんなに会えるのが楽しみです。」

毎年2月に3年生の送別会がグランドで行われます。
お婆ちゃんはその席に招待されました。
なんとお婆ちゃんはその時の1年生から3年生までの名前を全員覚えてきてくれました。
そして出会いから1年が経った年、サッカー部は全国大会に出場を決めました。
その全国大会1回戦にお婆ちゃんは応援に来てくれました。
それだけではなく県内の大会の時にもお婆ちゃんはいつも応援に来てくれました。
そしてその年の送別会にも招待、お婆ちゃんは寒い中ニコニコと孫を見守るような顔でグランドで見送ってくれました。
新年度が始まりました。この代がお婆ちゃんと出逢った経緯を知る最後の年代です。
残念ながらお婆ちゃんを全国大会に連れて行く事は出来ませんでした。
そして送別会の時期、お婆ちゃんには招待の連絡が来ません。
送別会は2年生の父兄が企画立案します。
2年生の父兄はお婆ちゃんの事も連絡先も知りません。
3年間付き合ってきてお婆ちゃんは部員の名前まで覚えています。
お婆ちゃんは行動に出ました。
ちょっと珍しい苗字の部員を電話帳で調べました。すると3件ヒット。
最初の1件目が、部員のお父さんの実家でした。
実家から連絡を受けた部員の家は直ぐにお婆ちゃんと2年生の役員に連絡、なんとか送別会に参加して頂きました。
お婆ちゃんに寄書きとプレゼントを渡し、お婆ちゃんからお手紙を頂きました。
サッカーだけじゃない、勉強だけじゃない、普通なら出逢えないような人と出逢えた事。お婆ちゃんの言葉を忘れずにこれからの出逢いを大切にして欲しいと思います。

最後の手紙、個人名が出てる部分もあるので転載はご遠慮ください。

お婆ちゃん子供達がお世話になりました。いつまでもお元気で。





2015年5月11日月曜日

「再開」


今年もシーズンが始まりました。
スタッフや選手達からすれば1年中シーズンなのかもしれませんが、私としてはやはりグランドでボールが蹴れる4〜11月がシーズンて気がしてます。
先日TOPチームのリーグ戦が開幕しました。
昨年苦しい戦いの中でなんとか残留した県リーグ、メンバーの半数が東京から試合のたびに長野へとやって来ます。
東京組は学生も居れば社会人も居ます。アマチュアですから本業は別にあります。
昨年は1度も揃っての練習が出来てません。
そんな簡単に勝てるレベルではありません。
1戦1戦試合をしながら修正しスキルを上げていくしかありません。
今回の初戦先発メンバーの内7人がアラグランデJYの出身選手です。
そんな中に7年振りにアラグランデのユニフォームを着ることになった選手が居ました。
高校・大学としっかりサッカーを続けてきて今年社会人となった彼はアラグランデに戻って来てくれました。
アラグランデ出身じゃなきゃダメな訳ではないんですが。
ウチの長男が小学生の時、長男や我が家にとって憧れの先輩が居ました。3つ上の先輩と2つ上の先輩と1つ上の先輩。
3つ上の先輩は4年前からTOPで活躍中。
1つ上の先輩は大阪の大学でフットサル選手として活躍中。
そして2つ上の先輩が今年TOPチームの選手として加入してくれました。
選手としても人間的にも大きく成長した姿を見ることが出来ました。
残念ながら開幕戦ではいい結果を残すことができませんでしたが感慨深いものがありました。
もう一つ今回の開幕戦でゴールマウスを守ってくれた選手ですが、今回のゲームをもちまして退団となります。
彼は現在高校生でして、通っている高校のサッカー部が人数不足で試合に出場出来ない事もありTOPチームで活動しておりました。
今年新入部員が入部した事もあり高校のサッカー部員としてやっていく事になりました。
1年間控えゴールキーパーでしたが腐ることもなくひたすら練習した結果か今回のゲームで神セーブ連発しておりました。それがなければ大量失点してたでしょう。
彼の今後の活躍を期待したいと思います。
さあ残り8試合昇格・残留をかけ負けられない戦いは続きます。

2014年11月7日金曜日

「通過点」

今日は高校サッカーについて話します。
先日次男が高校サッカー部を引退しました。
引退という言葉だけ聞くと大袈裟に感じるかもしれませんが、あくまでサッカー部を引退ということなんです。
どこの高校サッカー部でも似たようなものですが、高校サッカーでは年間を通してのリーグ戦・夏のインターハイ・冬の高校サッカー選手権と3つの公式ゲームがあります。
リーグ戦は地区・県・プリンス(関東や北信越等)・プレミア(日本を東と西に分けて)とピラミッド型になって4月から12月くらいまで行われます。
リーグ戦はまだ残ってはいるんですが冬の選手権が3年生にとって最後の大会になります。
選手権の県予選トーナメントに勝って全国大会への切符を勝ち取れば引退は年明けの本大会まで伸びるわけです。
学校によってはインターハイが終わって3年生を引退させるところもあるし、選手自ら受験の為に引退時期を決める事もあります。
次男の通う高校は夏のインターハイで県ベスト4だったので、選手権予選にシードされ3回戦からの出場でした。
3回戦を突破して行われた準々決勝は県リーグ首位の相手、結果は1-5と惨敗でした。
昨年インターハイ・選手権と全国大会に出場したディフェンディングチャンピオンチームでしたが今年は無冠のまま終わってしまいました。
次男の話しを少し、茨城へ進学してすぐに彼には理解出来たようです。
自分のレベルの低い事に。
「チームで一番ヘタクソ」って言ってました。
部員は1年生の時80人、2年生の時90人、3年生の時には120人になってました。
部内にチームは3つ、Aチーム・Bチーム・Cチームです。
1年生の時にはCチーム、2年生の時にはBチーム、3年生もBチームでした。
リーグ戦も進みインターハイも終わり後は選手権という時期になりました。
選手権の登録は25人、試合毎のベンチ入りは20人です。
選手権の1ヶ月ほど前に県協会に登録メンバーを提出します。
その中に次男の名前はありませんでした。
大会が始まる直前に最終登録というのがあります。
滑り込みました。
公式戦としてのAチーム初登録でした。
初戦となったトーナメント3回戦・準々決勝とベンチ入りした姿を観ることが出来ました。
試合には出ることができませんでしたが、Aチームのユニを着た姿をみせてくれました。
正直な話しここまで来れるとは思っていませんでした。
負けた後泣き崩れる選手、呆然とする選手がいる中彼は笑みさえ浮かべ清々しい顔をしていました。
その瞬間「あーここに行かせて良かった」と思いました。
素晴らしい仲間に恵まれ、リスペクト出来る指導者に出会え、辛かったことも含めての笑顔だったのだと思います。
大学でも本気でサッカーを続ける決意をしたようです。
高校サッカーで燃え尽きてしまう選手も多くいる中でまたまだサッカーを続けていくという気持ちを持ってくれているのは嬉しい事ですし、そんなプレイヤーに育ててくれたアラのスタッフに感謝してます。
県外に行ったから凄いとか、強い高校だから凄いとかそんな事はありません。
そのステージでその瞬間瞬間にどれだけやれるか、やるのかが大事だと思います。
応援してくれていた方々とアラグランデに関わる全ての方にお礼を申し上げます。